冨野への突っ込みとまとめ

今の日本の社会は、たまたまコンビニに象徴されるように独りで暮らしていける構造になっているだけで

 これは冨野が間違ってると思う。卵が先か鶏が先かになってしまうが、1人で生きていけるよう社会構造が変化したから恋愛資本主義的なものが生まれた、あるいは恋愛資本主義とまでは行かなくともライフスタイルが変化したため社会構造が変化したのであって、たまたまではない。
 
 で、それをふまえて日本の平和な経済システムが永久に存在して、自分が生涯において経済的、環境的な苦境に立たない、立っても少なくとも生活面では安心できるほどの収入や貯蓄があるとしよう。それでも1人で暮らしていくことはかなり難しいと思う。今はまだ良い。しかし十年、二十年たった後、孤独な老前後に耐えられるのだろうか?
 友達がいると主張する人もいるだろう。しかし友達が結婚してから、あるいは子供が出来てから疎遠になってしまったという話はよくある。そもそも生涯を共に出来るほどの仲が良い親友は何人いるのだろうか?私は1人か2人ぐらいしか挙げることが出来ない。さらにその2人も結婚や子供が出来たりしたら今まで通り付き合えるかわからない。友達は減るものではなく増やしていくものだという人もいるだろう。正論だ、学生時代以降、友達が減っていくのはコミュニケーション能力に問題があるせいかもしれない。しかし、50歳、60歳になってもそのバイタリティを維持できるのだろうか?そもそも友達がいっぱいいる奴は大抵、彼女持ちである気がする。
生涯を共に出来るような同姓のパートナーを見つけることのほうが、異性のパートナーを見つけるよりよっぽど難しいのでは?と非モテながら思うのです。
 結婚を前提に恋愛をするという考えはもう過去のものなのかもしれない。しかし恋愛は間違いなく結婚をするための手段の一つであり、見合い結婚に抵抗があったり、できない環境の人間にとっては唯一の結婚のための手段である。
 冨野の言葉を借りるなら生き抜くために恋愛をしなければならない。恋愛に関する技術は生き抜くためのサバイバル技術である。恋愛に対する努力はこの先生きのこるための努力である。
 電波男を読んでいないのですが、恋愛や異性に幻想を抱きそれが存在しないから恋愛をやめるとか、真実の愛を求めて二次元に旅立つとか全てひっくるめて広義での恋愛資本主義、すなわち愛という幻想なのではないかと思います。